福祉の心を捨てた

日記

目次

MSW辞めてよかった。

ほんの2か月前までMSWとして、病院で患者様の支援にあたっていました。

MSWとは病院にいるソーシャルワーカーで、基本的には医療制度や介護保険の案内等を行う。

貧困世帯や社会的に退院が困難な人を支援する仕事です。

ただ、勤務していた病院では入退院の調整、おおまかなベッドコントロール、クレーム対応、施設基準の数値管理もMSWの仕事となっており、仕事の範囲がきっちり決まっていないため、病院によって求められる仕事の範囲が異なる。

やりがいもある一方、「もっとサービスして欲しい」「何故、毎日母の様子を報告してくれないのか」等、過剰な要求への対応に疲れていたのかもしれません。

コロナ禍へ突入し、感染者の受け入れ調整や患者家族からのクレームや疑問への対応で疲弊した。

引っ越しの疲れが取れたころ、いつも一緒だった泥のような疲労感から解放された。

子供のわがままにも、可愛いなと思えるようになった。

子供達と抱き合う回数が増えた。

経済的な不安はあるけれど、「大人になったら嫌だなと思うことは、無理してやっちゃいけない。やめろ。」という言葉を思い出す。

もう少し早く辞めても良かったのかなと思う。

公園で倒れていたおじさん。

数日前の雪がチラチラした日、子供達と近所の公園へ行った。

2歳の次男は私から離れるのが不安なのか、くっついて離れない。

5歳の長男は、保育園がなくなり人寂しいのか、色んな人に話しかけていた。

公園の茂みには、座り込んでいる60代後半のホームレスさんかな?というおじさん。

他のお母さん達もうっすら警戒した様子で、子供たちを遊ばせていた。

次男と滑り台で遊んでいると、ホームレスのおじさんが何やら大声を上げた。

滑り台の横のバスケットコートのお兄さんも怪訝そうな顔をして、足早に去っていった。

ホームレス担当

病院でベテランMSWに属するため、ホームレスや虐待ケースを担当することが多かった。

無保険の可能性が高く、役所への申請を迅速に行う必要があること。

身元の確認から支援が必要なこと。

元々わがままだったり、人の意見を聞かないことが多いため支援が難しい。

そのため、常に私の担当だった。(MSWは離職率が高く、すぐに辞めてしまう。)

もう仕事は辞めたんだ。

わざわざ関わる必要はあるめー。

ふと、数人のお母さんが心配そうにこちらを覗いている。

「ん?」

振り返ると長男がホームレスのおじさんと何かを話している。

「ママ、おじさんが助けてって言ってる。」

あちゃー、もう無視できないよね。

さすがに子供の前で人でなしな行いは出来ない。

おじさんに事情を聴いて、久しぶりに救急隊へ連絡してみた。

(病院間の緊急移送の為に、救急隊へ連絡することも業務に含まれていたため)

大阪の救急車

名古屋と大阪の救急車の違い。

一番驚いたことは、自転車も一緒に救急車に乗せてくれること。

これにはビックリ。

さすが自転車社会。

ある意味でとても親切だと思いました。

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